押されなかったスイッチ

ドラマを見ていたら「人生におけるスイッチ」の話が出てきて、私にとってのスイッチはなんだったのだろうと考えた。

スイッチとは簡単に言うときっかけのことで、どんな些細なスイッチだとしても、押されることで人生が大なり小なり変化する。例えば、「とってもおいしいドーナツを食べてからドーナツが大好きになった!」というのなら、「あのときドーナツを食べた」ということが一つのスイッチだった、ということになる。ドーナツを食べることを選び、スイッチは押された。そのスイッチはドーナツ大好き人生の始まりのスイッチだったのだ!と、そういうかんじだ。

 

押されたスイッチについては、いろいろと思い浮かぶ。受験や就職といった大きなものから、小さな買い物や会話など些細なものまで。

だけど、押されなかったスイッチについて考えるのは、少し難しい。あえて押さなかったスイッチにも覚えはあるけれど、スイッチがあることにさえ気づかなかったことだって、きっとたくさんあった。

あれは人生や自分自身を変えるスイッチだったんじゃないか、と後になって思い返すことは、後悔に似ている。押されなかったスイッチは、もう押すことはできないから。

もし時間が巻き戻って、今そのスイッチが目の前にあったとしても、私はきっと押せないだろうな、と思うスイッチもある。それは後悔にさえなり得なくて、ただどうしようもない過去として、今の私の一部になっている。

 

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ずっと保健室のことが苦手だ。嫌な思い出があるわけではない。ただ、あの部屋に自分はいてはいけないような気がして、できるだけ行かないようにしていた。

あのとき保健室に行っていれば、もしくは誰か大人に相談ができていれば、私の何かは少しは違っていたのではないかとぼんやりと思う。押されなかったスイッチは、押した場合の結果がわからずじまいだから、何もかもが曖昧なものだけれど。

でも、思うのだ。多分あそこにはスイッチがあって、私はそれに気づかなかった。もしくは、気づこうとしなかった。そして、例え今あそこに巻き戻ったとしても、私はあのスイッチを押せない。

 

高校二年生の初夏、身体が変になった。

のんきな私は、「いや〜今年の夏バテはすごいな〜」と思っていた。

毎日のようにフローリングで気絶しては明け方に目覚めるのを繰り返していたことや、体育の準備運動の時点で死にかけになっていたこと、少し動いただけで動悸がしていたこと、多分ぜんぶおかしかったのに、私はそれを自分の体力のなさと怠慢のせいだと思っていた。

常に手が震えていたけれど、すべての人の手がこれくらい震えているものだと本気で思っていた。後になって、人の手は普通そんなに震えないと知ってびっくりした。つまり、だいぶポンコツだった。

 

病気が発覚したのは別件で病院に行ったときで、ついでに軽い気持ちで手の震えを診てもらったら、甲状腺の腫れと高血圧と頻脈で大学病院送りにされた。ええ?と思いながら検査を受け、「甲状腺機能亢進症だね〜」と言われ、ええ?と首をかしげるしかなかった。

自覚症状を聞かれても、言われてみればまあ少しは……というくらいだった。今思えば明らかに体調は悪かったのだけれど、あの時は自分で自分のことがよくわからなかった。なんで自分はここにいるんだろう、と思っていた。学校にも普通に通えているし、全然大丈夫なのにな〜と。

 

甲状腺機能亢進症というのは、甲状腺がものすごくやる気いっぱいになってしまう病気で、普通に過ごしているだけで全力疾走してるくらいの体力が削れていくらしい。

そんな状態で体育の授業についていけるはずもなかったのだけれど、頑張ればどうにかなっていたのでそのまま参加していた。できるなら参加しないと駄目なんだと思っていた。

病院の先生に、さすがに水泳は危ないから休もうねと言われて、水泳の単位だけレポートで取った。なんだか私だけずるをしているような気分になった。

 

甲状腺の狂った人間にとって、夏は過酷だ。

夏休み、部活の教室はクーラーが壊れていてずっと暑くて、そのうえ立ち作業も多かったので、行くたびに何度も目の前を真っ白にして、ああ真っ白だなあ~と思っていた。水の中にいるみたいに耳が遠くなって、目の前が白くなって、汗が噴き出して、でも意識が飛ばないように耐えればどうにかできてしまったから、大丈夫だと思っていた。耐えられずに倒れたら普通に危ないし迷惑なので、家にいた方がよかったのだろうけど、学校や部活を休むという選択肢が私にはなかった。

 

治療が少し進んでいくと、薬の効き過ぎで一日十回くらい身体のどこかが攣るという意味のわからない状態になった。

ちょっと身じろぎした程度で身体が攣る人間が、体育の馬跳びなんてしていいわけがないのに、意味もなく満身創痍でやっていた。一度歴史のテスト中にお腹のあたりが攣って、ほんとうにどうしようかと思った。

どう考えても身体がおかしくなっているのだから、病院の先生に相談するべきだったのだろうけど、薬がちゃんと効いてるってことだろうしなあ〜と思って誰にも言わなかった。結果、身体が攣るのに異様に慣れた高校生が生まれた。

 

もしかしてあのとき私は、大人に助けられるべき子どもだったんじゃないだろうか。

保健室の扉を開ければ、少しくらい助けてもらえたんじゃないか。無理をしないという選択肢をもらえたんじゃないか。

そうすれば、目の前を真っ白にしたまま立ち続けることも、体育で死にそうになることも、授業中に眠ってしまって数学の先生に頭を叩かれることもなかったかもしれない。起きていられずに勉強がわからなくなっていくのも、自分の責任だと思わずに済んだかもしれない。

 

だけどあのときは、誰かに助けてもらおうだなんて選択肢、思いつかなかった。助けてほしいとも思わなかった。助かりたいとも思わなかった。

ただ、自分は大丈夫なのだと思っていた。心配されるほどのことでも、気を遣われるほどのことでもなくて、ぜんぶ自分で処理できることの範囲内だと思っていた。実際それはほとんどその通りになってしまって、だからこそたちが悪かった。

 

大人になった私は、あの保健室の扉を開けることがスイッチであることを知っている。だけど、その上で今あのときに戻ったとしても、スイッチを押すことはできないと思う。

なぜなら私は、あのスイッチを押さずにここまで来てしまった人間だからだ。

制服姿で内分泌科の待合室の椅子に座って、私はどうしてここにいるんだろうと思っていたときから、何も変わっていない。保健室は自分がいてはいけない場所のように感じる。自分は誰も助けられないし優しくできないのに、誰かに助けられに行ったり優しくされに行くのは筋違いだと感じる。人に優しくされるのが、いつまでも少し怖い。

 

高校生の頃の夏を思い出すと、耳鳴りと共に白く染まっていく廊下とか、水泳のレポートを提出しに行った体育教官室とか、起きていられなくて全く埋まっていない歴史のプリントとか、数学の先生に頭を叩かれたこととか、ろくでもないことばかり思い出して嫌になる。

私はいつまでも、あのときの私を助けてあげられない。ただ押されなかったスイッチの存在を知っているだけだ。