夏の歩幅

18時過ぎに退勤したら、空が夕焼けに染まっていた。電車に乗り、最寄駅を出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。

もうこんなに暗いんだ、と思うと同時に、聞こえてくる虫の鳴き声が蝉ではなくなっていることに気がついて驚いた。怖い。怖すぎる。夏が終わっていく。ついこの前始まったところだったはずなのに。

 

いつだって季節に置いて行かれている。気がついたら季節が移り変わっていて、あれ?と思っているうちにまた次の季節が来る。気候にあった服を買おうと思っているうちに気候が変わっているので、いつまでもちょうどいい服を買えずにいる。

 

駅から家まで向かう途中、背の高いスーツの男性が私を追い抜いて行った。特に急いでいるふうでもなく、ただ自然に横を通り過ぎて、その背中はどんどん離れていった。

身長が違うとは言え、歩く速さがこんなに違うのか、と思った。やっぱり歩幅が違うのかしら、と思って試しに大股で歩いてみたら、ぐんぐん前に進んでおもしろかった。でもすぐに疲れて、十歩くらいでやめてしまった。

 

人によって歩く速さは違うのだから、のんびりマイペースでいいんだよ、みたいな言説があるけれど、だからと言って季節は待ってくれないじゃないか、と思う。

いくつもの季節に置いて行かれたまま、歳ばかり周りと等しく重ねて、いつの間にか取り返しのつかないところに足を踏み入れているのではないかと不安になる。

周りと歩く速さを合わせなくちゃ、と焦っているわけではなくて、季節と歩幅を合わせて歩きたいと願っているだけなのだ。桜を見て、花火を見て、紅葉を見て、雪を見て、やったことやできたことを自分なりに数えて生きていきたいだけなのに、それさえも覚束ないような気がする。

自分のペースで歩いていけばいいのだ、と言い聞かせてはみるけれど、結局のところ、自分のペースで歩くことしかできないからそうしているだけなのだ。それでいいんだよ、と説いてくれる人は多分たくさんいるけれど、それでいいと思う他に折り合いをつける術がなく、肯定と諦めの狭間を落とし所にしているだけなのだ。

 

季節が変わることを実感するたびに、お椀のかたちにした手のひらの指の隙間から水がこぼれ落ちてゆくイメージが頭をよぎる。

手のひらに残ったもので生きていくしかないのなら、たぶん、残ったものを人一倍大事にしなければならないのだと思う。

でも、夏にできたことを数えるには、今年はまだ暑すぎるかも。それより先に、秋にやりたいことを考えておくのがいいかもしれない。とりあえず、月見バーガーが食べたいかなあ。

遠い花火

肉じゃがを作って、いただきますと手を合わせたら、窓の外でどん、と低い大きな音がした。
突然雷が落ちたのか、はたまた私がいただきますをしたがために何かが爆発したのかと思ったけれど、どん、どんと続けて響くその音と、外から聞こえた「わあ〜」という誰かの歓声で気がついた。打ち上げ花火だ。

ベランダから外を覗くと、向かいのマンションの向こう側に花火が見えた。建物が邪魔でたぶん三分の一くらいしか見えていなかったけれど、遠くても結構よく見えた。次々と上がる色とりどりの花火。きれいだった。

晩ごはんが冷めてしまうので、花火を見るのは少しで切り上げて、早々に部屋に戻った。食べている間もずっと、どん、どんという音が遠くで響いていた。
食べ終わったあと、もう一度外をのぞいてみたら、まだ花火は上がっていた。花火というものは結構長い時間上がるものなのだなと、この歳になって今更知った。

花火を見に行っている人たちは、次々と上がり続ける花火をずっと眺めているのだろうか。晩ごはんを優先するような私には、それがなんだか不思議に思えた。これはやっぱり、誰かと一緒に見たほうが楽しい、という部類のものなのだろうか。よくわからないな、と思った。よくわからないということは、寂しいことなのだろうか。それもよくわからない。ただ、花火って遠いなあと思った。

窓を閉めてツイッターを開いたら、地元にいる友達が線香花火の動画を上げていた。
ぱちぱちと火の燃える音、遠くにいる友達の笑い声。外でまた、どん、と大きな花火の音がした。クーラーの風が静かに聞こえて、癖で膝を抱えれば、触れた自分の肌はひんやりとしていた。お皿洗わなきゃなあ、と思いながら目を閉じた。

原宿マジック

二、三年前に買ったブラウスをおろした。

セーラー襟にレースがついた白いブラウス。可愛いけれど、可愛すぎる気がして着ていなかった。着ないまま人生を終えるような気がしていた。

 

その日はフォロワーと原宿で会う約束をしていた。もともと違う服を着ていくつもりだったけれど、引き出しを開けたらそのブラウスが見えたので、せっかくだし着ていくか、という気になった。

 

竹下通りは、私と遠い場所だった。物理的な距離の話ではなくて、私という人間と原宿という場所の性質に重なり合うところがない、という意味で遠かった。

竹下通りは活気があって、みんな思い思いの服を着ていて、思い思いのものを食べていた。ブラウスにレースの襟がついていようと、何てことはなかった。どちらかというと、強風で襟がめくれてときどき顔を攻撃されることと、トートバッグを肩にかけたら襟がぐちゃぐちゃになることの方が問題だった。

 

竹下通りにいると、ある意味、お寺やお城に観光に来たときのような気分になった。自分はここのことを何も知らない。地理も、文化も、人間も。この場所に馴染むことはできないのだろうな、という余所者感と、新鮮な場所にわくわくする気持ちが両方あった。

いつもはショッピングモールに入っている服屋さんくらいにしか行かないので、原宿にある服屋さんは、なんだかとても特別に感じた。待ち合わせに便利そうなリアルなコアラのTシャツとか、うっかり人を蹴ったら殺人罪になりそうな厚底の靴とか、やたら陰影の濃いクマのぬいぐるみ柄のシャツとか、金魚と臓器の柄(??)のチャイナ風の服とか、目新しいものがとにかくたくさんあった。会社に着ていけない服のパレードだった。

一緒にいたフォロワーは綺麗でお洒落な人で、試着した服はぜんぶ似合っていた。チャイナってそんな似合うことあるんだ……と思った。まぶしかった。

 

竹下通りをひと通り回り終えた後、いちばん最初に見たお店にもう一度寄らせてもらった。手に取ったのは、丈の長い黒いスカート。布が多めで、広げるとたぶん半円くらいになる。裾に大きいフリルがついているのと、後ろの方の丈が少し長くなっているのが可愛かった。

試着してみて、やっぱり私には可愛すぎるかな、と思った。服は可愛いけど、私が着るのはなんだか謎な気がする。私が可愛くないからだとか、そういう自虐的な気持ちというよりかは、これは私とは縁遠いものなのではないかなと首を傾げるような気持ちだった。言うなれば、知らない国の民族衣装を着たときのような気持ち。

でもスカートは可愛いし、着られる着られないで言えばギリギリのラインだ。今着ているブラウスが着られるなら着られるんじゃないか、みたいな、そんなライン。黒だしまあ大丈夫じゃないか……? 買ってみようかな……? フォロワーも可愛いって言ってくれてるし……などと思っていると、「ちょっと着てみて~」とフォロワーがワンピースを手渡してくれた。きっと可愛いから、買わなくてもいいから着てみて~、と。

黒いワンピース。袖のところが、あれは何て言うんだろうか、シースルー?になっていた。スカートの裾のところも、何と説明したらいいのかわからないが、とにかくこう、一部分がシースルーになっていた。短めのスカートの上から長めのシースルーの生地が重なっているような……かんじのやつ。シースルーもわからない人間には説明が難しい。とにかく、原宿っぽい可愛らしい夏のワンピースだった。

 

着てみた。びっくりした。それは漫画とかでときどきある「えっ、これが私……?!」みたいなドラマチックなそれではなくて、「人生でこういうお洋服着ることなんてないと思っていたのに……?!」みたいな、なんだかよくわからない驚きだった。こういう服は、「かわいいな~」とは思えど、「着たい!」「着よう!」とは思わない人生だった。テレビの向こうのアイドルを見て「かわいいな~」と思うのと同じことだ。私とは交わることのない、別世界のものだと思っていたから、憧れさえ抱いてこなかった。

原宿の可愛いワンピースを着た私は、とんでもなく目新しかった。異世界転生したかと思った。人生で初めて着た系統の服だったから、突然現実とフィクションが混在して鏡の中に現れたような、不思議な気持ちになった。ひとしきり動揺した。シースルーの服は、びっくりするほど落ち着かなかった。フォロワーは可愛いねと褒めてくれた。嬉しかった。

 

勢いで買っても我に返ったときに絶対に着なくなる、と思ったので、ワンピースはそっと店員さんに返した。このブラウスでさえ箪笥の中で眠っていたくらいなのだから、着ただけで動揺が走る可愛いワンピースなど、同じ道を辿ってしまうに決まっている。日の目を見ないのは、服がかわいそうだ。

でも、最初に着たスカートは買うことにした。休日なら着られると思ったし、何より、買い物をするのが楽しくて浮かれていたから。

 

竹下通りを歩いて服屋さんを巡ったのも、スカートを選んだのも、私にとっては新鮮でどきどきした。初対面の綺麗なお姉さん(フォロワー)と一緒だったから、余計に。

ワンピースを試着したのも、すごく良い経験をしたなと思う。今でもなんだか、ふわふわとした不思議な気持ちになる。原宿って、すごい。

 

たぶん、今回買ったスカートを着る度に、この日のことを思い出すのだと思う。

次の休日も遊びに行く予定があるので、新しいスカートを着ていこうかなと思っている。

このスカートを着ていろんなところに遊びに行って、楽しい思い出を増やしていけば、原宿での思い出も、この可愛いスカートのことも、ずっと大事にできるような気がする。